
エリック・クラプトンの 『Unplugged』(1992 年)。 言うまでもなく MTV Unplugged のライブ音源 で、ロックギタリストがアコースティックでもこんなに鳴るんだ、ということを世界に証明した一枚です。
棚の CD シリーズの第 4 回に、迷わずこのアルバムを選びました。
中学生だった私と、父親になったいまの私。この 1 枚は、その両方を知っています。
出会いは中学生 ── 兄の Martin 000-28
このアルバムに出会ったのは、中学に上がった頃です。
家には自分より先に音楽にのめり込んでいた兄がいて、兄はクラプトンが好き でした。どれくらい好きかというと、Martin 000-28 を所有していたほど。一本のアコースティックギターに向き合う兄の背中を、日常のなかで自然と見ながら育ちました。
家のスピーカーから流れる音、兄の手元から鳴る音、自分の部屋まで届いてくる音。 気がつけば、Unplugged の収録曲は身体に染み込んでいました。
子供の頃に「いいな」と思った音楽は、その後どれだけ違うものを聴いても、結局そこに帰ってきます。
Tears in Heaven の、こんな話を聞いたことがある
このアルバムを語るとき、避けて通れない曲があります。"Tears in Heaven"。 楽曲としての美しさは言うに及ばず、その 成り立ち を知ったのは、私自身が大人になってからでした。
1991 年、クラプトンは 当時 4 歳の息子コナー を、不慮の事故で亡くしています。 悲しみの淵に立つ彼を支えたのが、親友の ジョージ・ハリスン でした。
その時期、クラプトンが 来日 したことがあって、日本庭園で「桜守」(さくらもり)の方と出会った という話を、どこかで読んだ記憶があります。桜の木を、ただ守って、世代を越えて受け渡していく仕事。 その出会いが、楽曲のインスピレーションのひとつになっている ── そう聞いたことがあります。
事実関係の細部までは、私には確かめようがありません。 けれど、あの曲を聴いていると、輪廻転生のような死生観 と、それでもなお前向きに強く生きたいという意志 が、確かにそこにあるのが分かります。
息子を失った父が、亡き子に向けて声を絞り出す ── そういう曲なのに、絶望ではなくて、続いていく時間の側に立っている。
そういう曲を、4 歳の子を持つ自分が改めて聴き返したとき、受け取り方が中学生だったあの頃とまるで違うのが分かります。
埋め込んだのは 30 年以上経ったあとに、また同じ曲を弾いている クラプトンの映像です。 この曲を持って 30 年生きてきた人と、この曲を聴いて 30 年生きてきた私たち。時間の通路 が、こうして 1 本通っているのが見えます。
ギター少年の通り道
ギターをやっていた人間にとって、Tears in Heaven は一度は通って弾きたくなる曲 です。 私もその一人でした。連日コピーしました。
中学の音楽の授業で、披露したのを覚えています。 ただ、教室にあったのは ガットギター(クラシックギター) だけ。 ナイロン弦の、ネックが太くて、ピックも使いにくい、Unplugged 用ではない楽器。あれで弾くのは結構大変でした。
そして、当時の自分にとってのちょっとしたヒーローポイント: チューナー無しでチューニングできる、それだけで一目置かれた時代があります。 A の音を覚えていて、5 弦を合わせて、あとは耳で。完璧ではなかったけれど、「自力でチューニングしてた」というだけで、クラスの中での音楽キャラの座は確保できていました。
懐かしい話です。
弾いて気持ちいいのは Signe
Tears in Heaven の話ばかりになりましたが、個人的に弾いていて一番気持ちいいのは 1 曲目の "Signe" です。
インストのアコースティック・ナンバーで、ボサノヴァ的な軽やかさと、クラプトン特有のブルース寄りのフレージングが混ざっている、不思議な開幕曲。 これがあるおかげで、Unplugged というアルバムは「重い思い出に偏った 1 枚」になっていません。
ふっと肩の力が抜けて、午後の風みたいな曲です。
Layla も、30 年経って
このアルバムでもう一つ忘れられないのが、"Layla" のアコースティック・バージョン。 あの轟音で名を残したロック・クラシックを、テンポを落とし、1939 年製の Martin 000-42 で弾き直す ── これがロックを再定義した瞬間でした。兄の 000-28 と同じ、Martin の 000 サイズです。
これも 30 年後の再演がありました。
時の流れた指で同じ曲を弾く、というのは、とてもいいものです。

父親の気持ちで、ジーンとする
最後にもう一度、Tears in Heaven に戻ります。
このアルバムを聴くと、父親の気持ちでジーンとする ようになりました。 実際に父親なんですけどね。
中学生のあの日に身体に染み付いた音は、中学生の自分のままでは留まってくれません。 聴き返すたびに、いまの自分の温度に合わせて、また少しずつ姿を変えて聴こえてくる。
兄の Martin から流れていた音も、教室のガットギターで弾いた拙い音も、いまリビングで子供と一緒にぼんやり聴くこの音も、全部この 1 枚の中に重なっている ような気がします。
棚の CD コレクションへ
棚の CD シリーズ、第 4 回はこの一枚でした。
子供の頃の自分と、父親になったいまの自分を、1 枚のアルバムが行き来させてくれる。 そういう体験ができるのは、CD を物として持っていて、それをわざわざ取り出す習慣があるからかもしれません。
次に取り出す CD は、まだ決めていません。 クローゼットを開けて、なんとなく目に止まった一枚を、また連れてきます。
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